2010年 07月 29日
無条件に信じるということ
本日は7月のニクの日(笑)あの大手術から8年が経ちました。
術後5年の日に始めたこのblogも4年目に入ります。
ラッキーセブンだったはずの7年目の日から、ずいぶんとシンドイ1年を過ごしました。
命を長らえた代償が、こんなに辛い毎日だとは夢にも思わなくて・・・。
婦人科ではなく泌尿器科への通院が、こんなに頻繁になるとはね。
そんな過酷なこの1年をを常に支えてくれたのが、主治医のS先生でした。
この1年だけではなく、私の主治医になってくれたときから、ずっと常にでした。
・・・とココまで書いて、ちょっと熱が出始めちゃったので非公開にして後で続きを
のはずが、そのまま送信してしまったようで失礼いたしました。
コメントしてくださった小鞠ちゃん、ありがとう!そして大変失礼しました。
出産経験のない私にとって、婦人科は縁遠い場所でした。
まずは町医者にかかり、そこで紹介状を持たされて総合病院の婦人科へ。
紹介状のあて先は部長先生でしたが、実際に主治医となってくれたのがS先生でした。
優しく丁寧に説明してくれ、質問にも判り易く答えてくれました。
「この人なら任せても大丈夫かもしれない」それが私の幸運の始まりでした。
癌の告知を受けた時も、ずっと子宮筋腫だと思っていた私には寝耳に水のこと。
そんな時に「なんで私がって思うかもしれないけど、今はこれからのことを考えようね」
そう言ってくれたことは、大きな救いとなりました。S先生となら頑張れる!
それでも告知を受けてしばらくはビービー泣いてばかりで、それにも根気よく付き合って
くれたし、どんな些細な心配事にも前向きな答えを出してくれました。
手術前の治療期間も長かったけれど、こまめに病室にきて励ましてくれました。
嬉しかったのは「頑張ろうね!」と言ってくれたこと。
決して他人事のように「頑張ってね」とは言わず、一緒に闘おうという気持ちが伝わってきました。
同い年のS先生は、親友でもあり安心して背中を預けられる戦友でもあります。
先生、腕時計をしていないんです。手術が多いというのもあるんですけれど
患者さんと話してるときに、意識しなくても視線が時計の方にいってしまったら
「早く話を切り上げたがってる」と患者さんに思わせてしまうからなんだそうです。
手術後、抗がん剤治療が始まったころに「波瀾万丈の人生は楽しいよ」と言われて
ちょっとだけカチンときたんですけど(笑)今は波瀾万丈がすっごく楽しい!
入院時は朝食前くらいが朝の回診なんですが、お隣のベッドになったお初の患者さんに
「あの方はbritish-greenさんのお友達?」とよく聞かれました(笑)
医者と患者の会話っぽくなかったみたいで。まあ、間違ってはいないんだけどね(笑)
手術後の補助療法として、まずは毎月抗がん剤を投与します。
その5回も私はいろいろあって高熱が出たり、副作用が酷かったりで5カ月ではなく
8ヶ月くらいかかりました。後遺症で脚の神経がものすごく痛んで眠れないほどとか
他の後遺症もその当時の状態から、大幅に改善されることはないと聞かされて
ちょっとガッカリな時期のことでした。外来で大きなため息をついたときに
「でもさ、今までよく頑張ったよね。良く頑張ってきたよね」と。
嬉しかった!すごく嬉しかった!その時のことを思い出すと、今でも涙が止まらなくて
胸の奥の方がジーンと温かく、もっと頑張ろうという気持ちになります。
火曜日にお薬も残り少なくなったこともあり、ちょっと久しぶりにS先生のところへ。
何も言わなくてもちょっと前の内科の血液検査の結果をみて
「ヘモグロビン、またちょっと下がっちゃったね。造血剤しばらくやってみようか」
実は私も貧血治療を頼んでみようと思っていたところでした。
例えば私が10訊ねたいことがあったとして、4~5くらい話したところで20の答えが
返ってきたりします。10訊ねた答えを聞いて、更に10訊きたかった答えまでです。
今では私が不安に思っていることを見抜いて、訊いてもいないのに答えが返ってきます。
手術2年目の日には「長生き!」3年目には「3年生きられて良かった」と言ったS先生
手術から8年経って、こんなふうに言ってくれました。
「british-greenさんが生きていてくれるだけで嬉しい!」
うん、先生、頑張って生きるよ!
by british-green
| 2010-07-29 23:09
| 日々の出来事